石岡の山本さん、戦友最期の叫び、今も(茨城新聞クロスアイ)

情報元 : 石岡の山本さん、戦友最期の叫び、今も(茨城新聞クロスアイ)茨城新聞社https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180826-00000007-ibaraki-l08
「お国のため」と、自分の意に反して召集され、遠い異国の戦地で若者たちは、死に際に何を思い何を叫んだのか-。石岡市貝地の山本久夫さん(96)は、南方のジャングルで、敵の爆撃に遭い命を落とした戦友の最期のうめき声が、今でも鮮明に耳に残っている。山本さんは9月9日、小美玉市で戦争体験を話す。
それは、明け方5時前だった。水戸歩兵第二連隊に所属し、1944(昭和19)年からパラオ本島の守備部隊の任務に就いていた。現地で食糧を調達したり、敵から隠れるための穴を掘る作業に従事。8人ほどの分隊で行動を共にしていたが、この日の炊事当番の1人の上等兵が、ヤシの実の皮で火をたき用意した朝食を取り、しばし体を横にしていた瞬間だった。
「ダ、ダ、ダ、ダァ、ダァーー」「ダ、ダ、ダ、ダァ、ダァーー」-。ジャングルの上空すれすれで飛ぶ敵機から至近距離で放たれた機銃。自分はどうして助かったのか覚えていない。気が付くと、右足の膝から上を撃ち抜かれ、骨がむき出しになった三つの肉片を両腕で抱えたままの上等兵がいた。「ウォオオーーー」と叫んだ後、息を引き取った。
20歳そこそこの自分より12、13歳は年上だった。最期の言葉は聞き取れなかったが、この日の前夜、ろうそくのわずかな明かりの下、家族の写真を眺めて空を仰いでいた姿を思い出し、「東京に残してきた幼い女の子2人と最愛の妻のことを思っていたんだ」と分かった。「背後は断崖絶壁のジャングルの中で、なぜ死ななければならなかったのか」と山本さんは悔やむ。自分と分隊長しか生きておらず、6人が命を落とした。
今振り返ると、自分たちも「なんて非情なんだ」と思うことも多かった。現地の人たちから「お願いだから、やめてくれ」と泣き付いて懇願されても、ヤシやバナナの木を伐採しては食糧にしていた。食べて生き抜くためと言い聞かせて、必死だった。
自分は志願兵。望んで戦地に赴いた。だが、上等兵のように大半は自らの意に反して召集され、命を落とした人たち。その胸中を思うといたたまれなくなる。
「なんで戦をやったのか。戦争がなければ、あの人たちは家族と共に幸せに暮らせたのに…」。山本さんは9月9日、小美玉市で開かれる戦争体験講演会で、命を落とした戦友2人の家族への思いを、同じく戦死した2歳上の兄の思い出とともに話す予定だ。
「自分の夫も同じように亡くなったという方も多い。忘れようとしているのに、蒸し返すようなことはしたくなかった」と本音を漏らす。これまでかたくなに口を閉ざしてきたが、今回、講演を頼まれた主催者から「戦争を体験した者だけにしか話せないこと。二度と戦争を起こしてはならないと、今伝えなければならない」と再三説得され、決心したという。
講演会は同市高崎の市生涯学習センター・コスモスで、午前10時~午後3時。主催は、同市玉里地区在住の元特攻隊員、元陸軍兵が3年前に立ち上げた「太平洋戦争の体験を伝える会」。このほか4人の戦争体験者が「大連からの引き揚げ」「大戦末期における18歳の少年飛行兵と病院船」-などと題して語り、市民ボランティアによる「戦火のなかの子どもたち」(岩崎ちひろ作)の朗読もある。入場無料。(高畠和弘)

地域
茨城-石岡市