情報元 : 【自慢させろ! わが高校】福岡県立筑紫丘高校(下) 校歌がはぐくむ将来の夢(産経新聞) / https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181222-00000047-san-l40
■先輩の後押し 羽ばたく「丘女」
日が暮れる頃、下校の時を告げるアナウンスとともに校歌が流れる。
「丘上吾等偲」(おかのうえに われらしのぶ)
この歌い出しから終わりまで、「筑紫丘」という校名は一切出てこない。
筑紫丘高校の現在の校歌は、昭和30年に誕生した。国文学者の高木市之助氏(1888~1974)が作詞し、数多くの校歌を手がけた作曲家、信時潔氏(1887~1965)が曲を付けた。その歌詞は漢文調で表記される。1~3番はそれぞれ、こう結ばれる。
「日本守護」(にっぽんをいざまもらん)
「日本開拓」(にっぽんをいざひらかん)
「日本創造」(にっぽんをいざつくらん)
土本功校長(60)は、同校が掲げる「豊かな心と創造力に富み、世界に貢献できる人材の育成」という使命を、この校歌に重ねる。
「筑高(ちくこう)生だけではなく、日本全国の高校生に、大きく羽ばたけと言っているように感じるんです」
平成5年に完成した講堂には、校歌を記した額が掲げられている。
入学式や卒業式など式典のたびに、約1300人の全校生徒が大きく胸を張り、額に向かって声を張り上げて、校歌を歌う。
「その様子を見ると、まさに山が動くような感覚です。3年間歌うことで、将来に対する夢や決意のようなものが、だんだんとわき起こってくるのでしょう」
土本氏はこう語った。
福岡銀行の荒木英二専務(60)=昭和52年卒=は、ふとしたときに校歌と一緒に高校生活を思い出す。
「私は部活にも入らなかったし、勉強もしなかった。それでも、居心地は悪くなかった。先生から何か細かく言われた記憶はない。そうした校風が、校歌にも表れている」
■ ■ ■
高校3年間を通じて自主性を培った卒業生は、さまざまな分野で活躍する。
10年以上前、そうした先輩の声を在校生の進路選択に生かそうと、「東京研修」が始まった。
毎年、2年生が夏休み中の8月、首都圏の企業や大学を2泊3日で回る。そこで仕事のやりがいを聞いたり、筑高出身の大学教授の講義を受けたりする。
教諭の肥田倫彦氏(41)は「東京にあこがれを抱く生徒は多い。研修であこがれを深め、その一方で地元・福岡の良さに気づくきっかけにもしてほしい」と話した。
今夏も、各班に分かれて20の企業や研究所と5大学を訪れた。
東森あかりさん(16)は、ヤフー、東京証券取引所、産経新聞社を回った。
ヤフーにいたOBは、事故で下半身不随になりながらも、車いすで働いていた。「あきらめるのではなく、自分にできることは何か。そう考えて次の行動に移ることが大事」。先輩の言葉が、東森さんの胸に響いた。
産経新聞社では阿比留瑠比論説委員兼政治部編集委員(52)=昭和59年卒=が「文章を書くのが好きで、小説家になるのが夢だった」と高校時代を振り返った。
研修最終日の朝には、みずほ銀行の藤原弘治頭取(57)=昭和55年卒=が宿舎に駆けつけた。
メガバンクのトップとして、世界で活躍する藤原氏は「海外の人と接するときに、自分の国のことを知らないのは恥ずかしい。まずは日本の文化を大事にしてほしい」と話をした。
東森さんは「研修を通じて、人生は一本の道ではない。いろいろなことが自分自身の将来につながっていると、思えるようになった」という。
現在、ESS(英会話)部に所属しており、「将来、世界の人々に日本の文化を正しく伝えるような活動がしたい」と考えている。
■ ■ ■
現役生の視野を広げる東京研修は、卒業生の協力によって支えられている。
そんな卒業生の「母校愛」を象徴するのが、毎年の同窓会総会だといえる。
毎年6月に福岡市で開かれる総会には、約1千人が参加する。幹事は卒業後、ちょうど30年の節目となる世代が務める。40代後半の働き盛りだ。
幹事の世代は総会の2、3年前から準備を始め、記念講演会などの企画を練る。各分野で活躍する同級生のネットワークを駆使し、総会を盛り上げようと汗をかく。
総会ではオリジナルグッズを販売するのも恒例で、校歌の歌詞がプリントされたTシャツや、記念ボールペンが並ぶ。今年の総会では、九州名物「棒ラーメン」のメーカー、マルタイ(福岡市西区)とコラボした「筑高タイ! ラーメン」が人気を博した。
5年前、筑高同窓会に女子同窓会が誕生した。
安倍晋三内閣で女性活躍の推進が叫ばれる中、「女性のチャレンジを応援したい」と、OGが立ち上がった。
その名は「丘女(おかめ)会」という。
同じ福岡市内にある県立のライバル校、修猷館高校の女子生徒は制服の星マークから「星女(せいじょ)」が、福岡高校の女子生徒は「福女(ふくじょ)」が通称になっている。
筑高女子生徒は「おかじょ」ではなく、「おかめ」と呼ばれてきた。「おかめ顔」とかけたとされる。
取り澄ましたところのない、親しみやすさが、筑高らしさともいえる。女子同窓会の名前にも、うってつけだと採用した。
丘女会のメンバーは、活発に動く。毎年、卒業生を招いた講演会を開くほか、今年から「OKAME STYLE」という広報紙の発行を始めた。舞踊家や弁護士、大手企業の役員ら、活躍するOGを紹介する。
そんな丘女会2代目会長が、原田ゆみ子氏(68)=昭和47年卒=だ。
原田氏は、九州大学を卒業後、福岡県職員となった。女性活躍の場は、今よりも限られていた時代だった。原田氏は県子育て支援課長などを歴任し、県庁を退職した後は、多目的複合施設「大野城まどかぴあ」の男女平等推進センター所長も務めた。
「丘女会で取り組む講演会や広報紙を、これから社会に出る後輩のヒントにしてほしい。『先輩を見て、こんなことを志した』と言ってもらえたらうれしい」
丘の上を巣立った「丘女」が、社会で大きく羽ばたく。原田氏はそう願っている。
(九州総局 小沢慶太)
日が暮れる頃、下校の時を告げるアナウンスとともに校歌が流れる。
「丘上吾等偲」(おかのうえに われらしのぶ)
この歌い出しから終わりまで、「筑紫丘」という校名は一切出てこない。
筑紫丘高校の現在の校歌は、昭和30年に誕生した。国文学者の高木市之助氏(1888~1974)が作詞し、数多くの校歌を手がけた作曲家、信時潔氏(1887~1965)が曲を付けた。その歌詞は漢文調で表記される。1~3番はそれぞれ、こう結ばれる。
「日本守護」(にっぽんをいざまもらん)
「日本開拓」(にっぽんをいざひらかん)
「日本創造」(にっぽんをいざつくらん)
土本功校長(60)は、同校が掲げる「豊かな心と創造力に富み、世界に貢献できる人材の育成」という使命を、この校歌に重ねる。
「筑高(ちくこう)生だけではなく、日本全国の高校生に、大きく羽ばたけと言っているように感じるんです」
平成5年に完成した講堂には、校歌を記した額が掲げられている。
入学式や卒業式など式典のたびに、約1300人の全校生徒が大きく胸を張り、額に向かって声を張り上げて、校歌を歌う。
「その様子を見ると、まさに山が動くような感覚です。3年間歌うことで、将来に対する夢や決意のようなものが、だんだんとわき起こってくるのでしょう」
土本氏はこう語った。
福岡銀行の荒木英二専務(60)=昭和52年卒=は、ふとしたときに校歌と一緒に高校生活を思い出す。
「私は部活にも入らなかったし、勉強もしなかった。それでも、居心地は悪くなかった。先生から何か細かく言われた記憶はない。そうした校風が、校歌にも表れている」
■ ■ ■
高校3年間を通じて自主性を培った卒業生は、さまざまな分野で活躍する。
10年以上前、そうした先輩の声を在校生の進路選択に生かそうと、「東京研修」が始まった。
毎年、2年生が夏休み中の8月、首都圏の企業や大学を2泊3日で回る。そこで仕事のやりがいを聞いたり、筑高出身の大学教授の講義を受けたりする。
教諭の肥田倫彦氏(41)は「東京にあこがれを抱く生徒は多い。研修であこがれを深め、その一方で地元・福岡の良さに気づくきっかけにもしてほしい」と話した。
今夏も、各班に分かれて20の企業や研究所と5大学を訪れた。
東森あかりさん(16)は、ヤフー、東京証券取引所、産経新聞社を回った。
ヤフーにいたOBは、事故で下半身不随になりながらも、車いすで働いていた。「あきらめるのではなく、自分にできることは何か。そう考えて次の行動に移ることが大事」。先輩の言葉が、東森さんの胸に響いた。
産経新聞社では阿比留瑠比論説委員兼政治部編集委員(52)=昭和59年卒=が「文章を書くのが好きで、小説家になるのが夢だった」と高校時代を振り返った。
研修最終日の朝には、みずほ銀行の藤原弘治頭取(57)=昭和55年卒=が宿舎に駆けつけた。
メガバンクのトップとして、世界で活躍する藤原氏は「海外の人と接するときに、自分の国のことを知らないのは恥ずかしい。まずは日本の文化を大事にしてほしい」と話をした。
東森さんは「研修を通じて、人生は一本の道ではない。いろいろなことが自分自身の将来につながっていると、思えるようになった」という。
現在、ESS(英会話)部に所属しており、「将来、世界の人々に日本の文化を正しく伝えるような活動がしたい」と考えている。
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現役生の視野を広げる東京研修は、卒業生の協力によって支えられている。
そんな卒業生の「母校愛」を象徴するのが、毎年の同窓会総会だといえる。
毎年6月に福岡市で開かれる総会には、約1千人が参加する。幹事は卒業後、ちょうど30年の節目となる世代が務める。40代後半の働き盛りだ。
幹事の世代は総会の2、3年前から準備を始め、記念講演会などの企画を練る。各分野で活躍する同級生のネットワークを駆使し、総会を盛り上げようと汗をかく。
総会ではオリジナルグッズを販売するのも恒例で、校歌の歌詞がプリントされたTシャツや、記念ボールペンが並ぶ。今年の総会では、九州名物「棒ラーメン」のメーカー、マルタイ(福岡市西区)とコラボした「筑高タイ! ラーメン」が人気を博した。
5年前、筑高同窓会に女子同窓会が誕生した。
安倍晋三内閣で女性活躍の推進が叫ばれる中、「女性のチャレンジを応援したい」と、OGが立ち上がった。
その名は「丘女(おかめ)会」という。
同じ福岡市内にある県立のライバル校、修猷館高校の女子生徒は制服の星マークから「星女(せいじょ)」が、福岡高校の女子生徒は「福女(ふくじょ)」が通称になっている。
筑高女子生徒は「おかじょ」ではなく、「おかめ」と呼ばれてきた。「おかめ顔」とかけたとされる。
取り澄ましたところのない、親しみやすさが、筑高らしさともいえる。女子同窓会の名前にも、うってつけだと採用した。
丘女会のメンバーは、活発に動く。毎年、卒業生を招いた講演会を開くほか、今年から「OKAME STYLE」という広報紙の発行を始めた。舞踊家や弁護士、大手企業の役員ら、活躍するOGを紹介する。
そんな丘女会2代目会長が、原田ゆみ子氏(68)=昭和47年卒=だ。
原田氏は、九州大学を卒業後、福岡県職員となった。女性活躍の場は、今よりも限られていた時代だった。原田氏は県子育て支援課長などを歴任し、県庁を退職した後は、多目的複合施設「大野城まどかぴあ」の男女平等推進センター所長も務めた。
「丘女会で取り組む講演会や広報紙を、これから社会に出る後輩のヒントにしてほしい。『先輩を見て、こんなことを志した』と言ってもらえたらうれしい」
丘の上を巣立った「丘女」が、社会で大きく羽ばたく。原田氏はそう願っている。
(九州総局 小沢慶太)