公共の場「泣いてもかまへんよ!」 パパママ応援ステッカー(京都新聞)

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 三日月大造滋賀県知事ら若手知事14人でつくる「日本創生のための将来世代応援知事同盟」は、公共の場で泣いてしまった乳幼児をあやすパパとママを、各県の方言で応援するステッカーを作成した。滋賀版は「泣いてもかまへんよ!」と呼び掛けている。18日午前に草津市の県立琵琶湖博物館で配布する。
 子育てを温かく見守る社会を目指し、今年から進める「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」の一環。11月19日の「いい育児の日」に合わせ、14県が総額約250万円でチラシとステッカー各1千枚などを作成した。
 ステッカーは縦4センチ、横5・5センチ。共通の赤ちゃんのイラストに「泣いでもさすけね!」(福島)「泣いてもいいじ!」(長野)「泣いてもええっちゃ!」(山口)「泣いてもいっちゃが!」(宮崎)など各県の方言が添えられている。
 滋賀では県立施設など100カ所にポスターを掲示し、子育て家庭を応援する「淡海子育て応援団」の飲食店などにもステッカーを配る。

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あんどん作りに挑戦 奈良県立民俗博物館でキッズ学芸員(産経新聞)

情報元 : あんどん作りに挑戦 奈良県立民俗博物館でキッズ学芸員(産経新聞)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180827-00000016-san-l29
 かつて庶民に親しまれていた道具について学ぶイベント「集まれ!キッズ学芸員」が26日、大和郡山市の県立民俗博物館で開かれた。参加した小学生ら14人は、江戸時代に使われていたあんどんの一種「有明行灯(ありあけあんどん)」の工作を体験した。
 有明行灯は外箱の側面に満月や三日月の形の穴があり、箱を回転させることで、中のろうそくの明るさを調節できるようになっている。江戸時代は枕元に置いて、寝室の照明として利用されていたという。
 子供たちは発泡スチロールとLEDライトを使ったミニチュアの有明行灯作りに挑戦。内箱に貼り付ける半透明の用紙に、花柄や水玉、花火などの模様を自由に描き、個性豊かな作品を作り上げていた。
 参加した斑鳩町の小学5年、小川紗希さん(11)は「きれいにできてよかった。部屋でたんすの上に飾ろうと思う」と笑顔。同館学芸員の茶谷まりえさん(29)は「これを機に、学芸員の仕事に興味を持つ子供が出てきてくれればうれしいです」と話していた。

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飛鳥・奈良時代の塀や建物跡発見  三重・明和町(三重テレビ放送)

情報元 : 飛鳥・奈良時代の塀や建物跡発見  三重・明和町(三重テレビ放送)三重テレビ放送https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180827-00010009-mietvv-l24
 国の史跡として発掘調査が続けられている三重県明和町の「斎宮跡」で、飛鳥・奈良時代の塀や建物跡が発見され25日、現地で説明会が開かれました。
 斎宮跡では、1970年から発掘調査を始め、これまでは史跡東部にある平安時代の調査が中心でした。
 今回、発見された区画は、近年、調査を進めてきた史跡西部の中垣内地区で、今年前半の調査で塀やその内部の建物跡など、飛鳥時代や奈良時代の遺構が見つかりました。
 中でも、斎宮制度が始まったとされる飛鳥時代の遺構は、初期の斎宮を知るうえで貴重な資料となります。
 斎宮歴史博物館の宮原佑治主任は、今後の発掘調査を進めるうえで非常に意義のある発見と話しています。
 25日は、大勢の考古学ファンが訪れ、博物館職員の説明に熱心に耳を傾けていました。
 
 また、調査の中で発掘された飛鳥時代のつぼの一部などの出土品も紹介され、参加者たちは当時の生活に思いをはせていました。

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地中に埋まった石垣間近に 金沢城公園、発掘現場を一般公開(北國新聞社)

情報元 : 地中に埋まった石垣間近に 金沢城公園、発掘現場を一般公開(北國新聞社)北國新聞社https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180826-00639019-hokkoku-l17
 金沢市の金沢城公園玉泉院丸庭園の南東側にある石垣の発掘調査現場が25日、一般公開された。参加者は地中に埋まっていた往時の石垣の姿を見学し、「石垣の博物館」と称される金沢城の奥深い魅力に触れた。
 県金沢城調査研究所の発掘調査では、庭園が造られた当時の石垣の高さが現在の3倍超の約7・5メートルだったことや、基礎部分が粗加工石積だったことが分かった。
 現場では、職員が石垣の高さによって石の積み方が異なることを解説し、「石垣の改修と、庭園や池の整備の変遷が見て取れる」と語った。現場の公開は25日のみで、今後は埋め戻して保存する。

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小金井の江戸東京たてもの園で「都市とたてもの、ひと」展 東京150年記念に /東京(みんなの経済新聞ネットワーク)

情報元 : 小金井の江戸東京たてもの園で「都市とたてもの、ひと」展 東京150年記念に /東京(みんなの経済新聞ネットワーク)みんなの経済新聞ネットワークhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180824-00000048-minkei-l13
 特別展「東京150年-都市とたてもの、ひと」が現在、都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」(小金井市桜町3、TEL042-388-1811)で開かれている。(立川経済新聞)
 東京府開設150年を記念し、「江戸東京博物館」(墨田区)で開催中の企画展「東京150年」と連動して開かれる。江戸東京博物館研究員の米山勇さんは「関東大震災、第2次世界大戦という2度の惨禍を乗り越え、その都度、不死鳥のようによみがえってきた東京の歴史を『建築とひと』の関わりを通じて考えてみたいと思い、企画した」と話す。
 展示は「1洋風建築がやってきた~棟梁(とうりょう)から建築家へ~」「2都市の愉楽と住宅の発見」「3関東大震災と復興~建築スタイルの乱舞、そして市井のモダン・デザイン~」「4モダニズムと戦後復興~木造モダニズムから世界の舞台へ~」「5タワーと超高層、そして21世紀の建築表現」の5つのテーマで構成。錦絵・模型・部材の実物・家具・電化製品・写真など約350点(展示替え含む)で紹介する。
 「江戸東京博物館では東京という都市の誕生や150年間の変化を都市行政や都市計画の視点から描くのに対して、たてもの園では『建築』に焦点を当てさまざまな建造物を通して東京の変遷を紹介し、都市の景観や暮らしの変化を概観する。失われた建造物や近現代建築の特徴と魅力を取り上げ、都市東京の150年において建築が果たした役割を明らかにしていく」と米山さん。
 「いわゆる建築展は図面や模型の展示に終始しがちだが、本展は錦絵や絵はがきや家具、電化製品やポスターなどの多様な展示を通して、『建物』と都市風景の移り変わりやそこに脈々と流れてきた『ひと』の営みをリアルに感じていただけるよう心掛けているので、そういったところを楽しんでいただければ」と呼び掛ける。
 9月8日には「東京たてもの列伝」(仮題)と題して、江戸東京博物館館長の藤森照信さんと米山さんによる対談、11月10日には法政大学特任教授の陣内秀信さんによる講演会「東京-150年の空間人類学」(以上、事前申込制)、8月25日・10月27日には米山さんのミュージアムトーク「『東京150年―都市とたてもの、ひと』展の見どころ」を行う。
 開園時間は9時30分~17時30分(10月1日からは16時30分まで、入園は閉園30分前まで)。月曜定休(祝休日の場合は翌日、10月1日は開園)、12月25日~1月1日休館。入園料は一般400円。来年1月20日まで。

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春日大社所蔵の流鏑馬木像、平安期の作と判明 修理で元の姿に(産経新聞)

情報元 : 春日大社所蔵の流鏑馬木像、平安期の作と判明 修理で元の姿に(産経新聞)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00000079-san-l29
 春日大社(奈良市)が所蔵し、昨秋からの修理を終えた「流鏑馬(やぶさめ)木像」が調査の結果、平安時代末期ごろの作であることが判明し、同大社が21日、発表した。古式流鏑馬を表した国内唯一の彫刻作品といい、花山院弘匡(かさんのいんひろただ)宮司は「素朴だが、今にも動き出しそうなりりしさがある。日本最古の流鏑馬像は、美術史において大きな意味を持つ」と話している。
 流鏑馬は疾走する馬から矢を放って的を射る競技。平安~鎌倉時代に盛んとなり、大社摂社・若宮神社の例祭「春日若宮おん祭」でも行われてきた。
 流鏑馬木像は総高61・5センチ。馬上の射手が装束を着け、駆け出そうとする姿をリアルに表現しており、厳しい顔つきをしている。かつて若宮神社に属した三十八所神社(現在は末社)に奉納されたもので、鎌倉時代の作とみられていた。
 大社で保管されてきたが傷みが激しかったため、今年の本殿創建1250年に合わせ、昨年秋に修理に着手した。別途保存していた旧材の脚を戻した上で、複数あった接ぎ目の緩みや角度を調整。彩色も鮮やかに元の姿によみがえらせた。
 調査した奈良国立博物館の岩田茂樹上席研究員によると、射手の顔や体の造形などが平安時代の作風に通じることから、三十八所神社が創建された久安2(1146)年ごろに制作された可能性が高いと考えられるという。
 岩田上席研究員は「流鏑馬木像の造形は、鎌倉時代に見られる写実的な要素より、おおらかで丸みのある平安的な特徴を持っている。彫刻の流鏑馬は唯一無二の魅力があるといえる」と話している。
 流鏑馬木像は、9月1日~12月13日に大社国宝殿で開かれる「春日信仰の美しき世界-神々の物語と珠玉の名宝」で公開される。

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【維新伝心150年】士族反乱の地を行く(1)秋月の乱 地方士族の連携ならず(産経新聞)

情報元 : 【維新伝心150年】士族反乱の地を行く(1)秋月の乱 地方士族の連携ならず(産経新聞)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180814-00000011-san-l40
 福岡県朝倉市の中心部から北東へ7キロほど入った山間の盆地に、秋月(あきづき)はある。
 江戸時代、福岡・黒田家の支藩として栄え、今も城下町の風景が色濃く残る。
 メーンストリートから小道に入ると、田中天満宮や西福寺跡がある。いずれも、明治9年に起きた秋月の乱ゆかりの場所だ。
 同年10月24日、熊本で敬神党(神風連)の乱が起きた。熊本鎮台の司令官や県令を殺害したが、翌日には新政府軍に鎮圧された。
 だが、秋月から熊本に派遣された使者が、初日の様子だけを見て、急ぎ帰郷し、「敬神党が勝利した」と報告した。
 これが導火線となった。同月27日朝、秋月党は兵を挙げる。250人ほどだった。
 「秋月士族は、決して心意気だけで出兵したのではない。戦略を立てていた」と、朝倉市秋月博物館の学芸員、福田正氏(41)は語る。
 作戦はこうだ。
 佐賀や豊津(福岡県みやこ町)といった近隣の不平士族に働きかけ、同志を増やす。その後、関門海峡を渡り、萩の前原一誠(まえばら・いっせい)の党と合流する。不平士族を糾合(きゅうごう)し、政府を攻撃する。
 兵はまず秋月街道を北進し、豊津に向かった。街道は現在の国道322号とほぼ同じルートを通る。八丁峠に大隈、猪膝(いのひざ)と、秋月党が通った地名は今も残る。
 蜂起から2日後、豊津に着いたところで、誤算が生じる。豊津の士族が秋月党に同調しなかったのだ。
 豊津士族は幕末、長州藩に敗れた小倉藩の武士だった。敗戦が何たるかを知る彼らの目にはわずか250人の秋月党が成功するとは思えず、呼応する気にはなれなかったのだろう。
 談判のさなか、小倉の鎮台分営から乃木希典(のぎ・まれすけ)の率いる兵が到着し、戦闘となる。
 秋月党は死者17人を出し、敗走した。決起した中心人物、磯淳(いそ・あつし)や宮崎車之助(しゃのすけ)ら7人は部下には寛大な処分を求める遺書をしたため、栗河内(くりごうち)(現・朝倉市)で自決した。
 昨年10月に開館した朝倉市秋月博物館には、磯らと自害した戸波(となみ)半九郎の遺書と、辞世の句がある。
 遺書では「両親に先立つ不孝を許してほしい」と記し、辞世の句はこう詠んだ。
 「今更にいふ 言の葉も なかりけり すてゝ かいなき この身 なくとも」。
 身命を賭(と)した挙兵だったことがうかがえる。
 現地の案内板を頼りに、田中天満宮や西福寺跡を訪ねた。天満宮には出兵の前日、士族が参集した。そこで隊長となる今村百八郎は「熊本も既に立ち、萩も立とうとしている。今ここに義兵を挙げる」と、周囲を奮い立たせたと伝わる。
 推定樹齢400年のイヌマキも立つ。歴史の証言者として、小高い丘から地域を見つめ続ける。
 書籍に残された戦闘状況によると、秋月兵の武器は旧式の銃や槍(やり)、長刀などで、政府軍は新銃を使っていた。差は歴然だった。
 各地の不平士族らで連携もできず、「第2の維新」とはならなかった。
 秋月の乱から4カ月後、西郷隆盛をかついだ薩摩士族が挙兵する。もはや秋月には西郷軍に応じる余力は残っていなかった。 (高瀬真由子)
                   ◇
 薩摩や長州、土佐、肥前の武士が主導し、倒幕・維新が実現した。ところが、新政府は急速に激しい社会変革を断行する。士族となった武士は明治4(1871)年の廃藩置県などで、生活基盤や特権を失った。
 九州・山口の士族は、かつての同僚らで構成する新政府に強い不満を抱き、やがて政府に反し、武装蜂起した。維新から150年。士族反乱の地を歩いた。

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水戸市立図書館 戦前地図、ネット公開 13点、街の発展見比べ(茨城新聞クロスアイ)

情報元 : 水戸市立図書館 戦前地図、ネット公開 13点、街の発展見比べ(茨城新聞クロスアイ)茨城新聞社https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180814-00000006-ibaraki-l08
水戸市立図書館は所蔵する1890(明治23)年から1935(昭和10)年までの市内の地図13点をインターネットで公開している。時系列で見比べることができ、戦前の街発展の様子を知ることができる。また、明治期の偕楽園案内書「常磐公園攬勝(らんしょう)図誌」も公開した。
同図書館の指定管理者「図書館流通センター」の関連会社「TRC-ADEAC」が運営するデジタルアーカイブシステム「ADEAC」を活用した。資料をフルテキスト化し目録データを制作しており、検索機能が付いている。
作品保護のため博物館や美術館などでは照明が落とされ、細かい文字まで確認できないことが多いが、ADEACは高精細画像で閲覧ができる。
水戸市街改正全図、水戸市現勢地図、水戸市及び三浜全図などの8点は、同一地点で街の変遷を比較して見ることができる。これにより、千波湖の埋め立て前と後の様子も見比べることが可能。那珂川沿いにあった競馬場や、水浜電車の停留場名も記載されている。大日本職業別明細図(1925年)では、商店街に並ぶ店の屋号が記されており、当時の茨城新聞社が南町に所在していたことなどが確認できる。
常磐公園攬勝図誌(1885年)は、水戸市の画家・松平雪江が描いた偕楽園と周辺の案内書。関わりがある漢詩や和歌が盛り込まれている。徳川斉昭が偕楽園で行った催事を絵入りで紹介している。原本の画像と翻刻文を同時に見ることが可能だ。
地図愛好家が見るだけでなく、児童生徒の調べ学習への活用が期待できる。パソコンやタブレット端末で閲覧可能で、プログラムのダウンロードも不要。ホームページはhttps://trc-adeac.trc.co.jp/
(清水英彦)

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シンカリオンが待ってるよ 京都鉄博でコラボ展(京都新聞)

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 アニメ「新幹線変形ロボ シンカリオン」と京都鉄道博物館(京都市下京区)のコラボ展が同館で開かれている。絵コンテやキャラクターの実物大の頭部が展示されている。
 シンカリオンは新幹線ロボットと運転士の子どもが主役のテレビ番組。シンカリオン8体のパネルや約3メートルの頭部模型、番組に登場する「新幹線超進化研究所京都支部」を再現したジオラマを紹介している。
 9月9日まで。8月24~26日と9月1、2日の午前10時~午後4時は、シンカリオンE7かがやきの大型模型を設置し、撮影会を行う。

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子供ら平和の大切さ学ぶ 大和郡山で戦時下の話を読み聞かせ(産経新聞)

情報元 : 子供ら平和の大切さ学ぶ 大和郡山で戦時下の話を読み聞かせ(産経新聞)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180804-00000038-san-l29
 広島市に原爆が投下された「原爆の日」(6日)を前に、大和郡山市の県立民俗博物館で4日、平和について考える「戦争と平和のおはなし会」が開かれ、読み聞かせに子供たちが真剣な表情で聞き入った。
 読み聞かせを行ったのは、紙芝居や絵本を通じて戦争の恐ろしさを知ってもらうために広陵町の有志で結成した「朗読の会 陽だまり」のメンバー3人。毎年8月に同館で行っており、今回で5回目という。
 この日は、作者が戦争中に経験した実話「昔、戦争がありました」や戦争の悲しみと家族の絆(きずな)を描いた「おはじきの木」、集団疎開の記録を伝える「お母ちゃんお母ちゃーん、むかえにきて」など計5作品を読み聞かせた。参加した家族連れら約20人は静かに耳を傾け、戦争の悲惨さや平和の大切さを学んでいた。
 その後、千代紙で折り鶴のアクセサリーを作るワークショップも開かれ、参加者は平和への願いを込めながら鶴を折った。
 訪れた大和郡山市立矢田小学校4年の岡田有愛さん(9)は、「戦時中は大変なことがたくさんあったということを知ることができた。今の平和な世の中はとても貴重だと思った」と話した。

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