軍艦島でユニバーサルツーリズム 体不自由でも観光を(長崎新聞)

情報元 : 軍艦島でユニバーサルツーリズム 体不自由でも観光を(長崎新聞)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190209-00000003-nagasaki-l42
 障害などで体が不自由な人も旅行を楽しむことができる「ユニバーサルツーリズム」の推進に取り組むNPO法人長崎バリアフリー推進協議会(安井忠行理事長)は8日、モニターツアーを長崎市の端島(軍艦島)などで実施した。日常生活に車いすを使っている3人を含む県内外の16人が参加。同協議会は定期的なツアーの実施を目指しており、改善が必要な点や気付いたことなどモニターツアー参加者の声を反映させる。
 同協議会は今後高齢化がさらに進むことを見据え、ユニバーサルツーリズムを普及させようと、これまで3回、同様のツアーを県内で実施。4回目の今回は初めて観光庁のモデル事業に採択された。
 車いすの3人は、移動にバリアフリー対応の乗り物を活用。バスは車いすのまま乗車できるようにリフトが付いたものを、長崎港から軍艦島への船は段差が少ないものを利用した。一般客も一緒に乗船したが、運航する軍艦島コンシェルジュ(同市)は車いす用の場所の確保やスムーズな誘導などで支援した。
 軍艦島の桟橋から上陸するには階段を上る必要があり、参加者は同協議会メンバーらに車いすごと抱えられながら上陸した。参加者の一人、矢ケ部孝志さん(49)=熊本県在住=は「車いすで上陸できると思っていなかった。人の手のサポートがありがたかった」と語った。
 安井理事長は「(県内の施設は)ハード面の整備が追いついていない部分もあるが、ちょっとした道具や工夫で訪れやすくなる。誰もが観光できるようなソフト面の整備をしていきたい」と話した。
 参加者は9日、グラバー園などを見学する予定。

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軍艦島でユニバーサルツーリズム 体不自由でも観光を(長崎新聞)

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 障害などで体が不自由な人も旅行を楽しむことができる「ユニバーサルツーリズム」の推進に取り組むNPO法人長崎バリアフリー推進協議会(安井忠行理事長)は8日、モニターツアーを長崎市の端島(軍艦島)などで実施した。日常生活に車いすを使っている3人を含む県内外の16人が参加。同協議会は定期的なツアーの実施を目指しており、改善が必要な点や気付いたことなどモニターツアー参加者の声を反映させる。
 同協議会は今後高齢化がさらに進むことを見据え、ユニバーサルツーリズムを普及させようと、これまで3回、同様のツアーを県内で実施。4回目の今回は初めて観光庁のモデル事業に採択された。
 車いすの3人は、移動にバリアフリー対応の乗り物を活用。バスは車いすのまま乗車できるようにリフトが付いたものを、長崎港から軍艦島への船は段差が少ないものを利用した。一般客も一緒に乗船したが、運航する軍艦島コンシェルジュ(同市)は車いす用の場所の確保やスムーズな誘導などで支援した。
 軍艦島の桟橋から上陸するには階段を上る必要があり、参加者は同協議会メンバーらに車いすごと抱えられながら上陸した。参加者の一人、矢ケ部孝志さん(49)=熊本県在住=は「車いすで上陸できると思っていなかった。人の手のサポートがありがたかった」と語った。
 安井理事長は「(県内の施設は)ハード面の整備が追いついていない部分もあるが、ちょっとした道具や工夫で訪れやすくなる。誰もが観光できるようなソフト面の整備をしていきたい」と話した。
 参加者は9日、グラバー園などを見学する予定。

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宇部市の人口16万5425人、1年で1436人減(宇部日報)

情報元 : 宇部市の人口16万5425人、1年で1436人減(宇部日報)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190202-00010001-ubenippo-l35
 宇部市の1月1日時点の人口は、16万5425人(男性7万8930人、女性8万6495人)。少子高齢化の進展を背景に、1年前に比べて1436人減少したが、国の推計値と比べ緩やかな減少幅となっている。一方で世帯数は増加しており、核家族化が進んでいることをうかがわせる。
 市によると、この1年間の出生は1185人、死亡は2063人で、自然動態では878人減少した。市外への転出者5046人に対し、市内への転入者は4557人と489人の転出超過となった。
 24校区中22校区で減少。減少数は恩田、神原、小羽山の順で多く、人口に対する減少率は船木、吉部、小野の順で高かった。大型の宅地開発が行われた厚南は89人増え、原も増加した。
 世帯数は、65戸増加の7万9161戸。校区別では9校区で増え、厚南、西宇部、原、黒石の厚南4校区は合計で214戸増加。減少数は恩田、神原、鵜の島の順で多かった。1世帯当たりの人数は2・09人となり、0・02人少なくなった。
 国立社会保障・人口問題研究所が示した2019年の市の人口推計値は、16万2550人。市では、15年に策定したまち・ひと・しごと創生総合戦略の最終的な目標の一つに人口減少対策を挙げ、雇用創出、合計特殊出生率の向上、健康増進など総合的な施策を展開。効果も出てきており、減少幅は推計より緩やかだ。
 市政策企画グループは「戦略全体を推し進めることが、有効な対策になると考えており、引き続き、各施策の課題を解決し、それぞれの目標を達成させたい」としている。

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「参拝困難」氏子が移転要望 吉野ケ里公園・国特別史跡内に鎮座する日吉神社 回り道や階段、高齢化で負担(佐賀新聞)

情報元 : 「参拝困難」氏子が移転要望 吉野ケ里公園・国特別史跡内に鎮座する日吉神社 回り道や階段、高齢化で負担(佐賀新聞)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-03324756-saga-l41
 吉野ケ里歴史公園(佐賀県神埼市郡)の国特別史跡内に鎮座する日吉神社を巡り、氏子たちが公園外に移転するよう佐賀県に求めていることが12日、分かった。公園整備により、参拝には回り道や階段の上り下りが必要となり、高齢化する氏子たちの参拝が難しくなっている。3年ほど前から移転を求めているが、県は予算上の問題や移転候補地が決まっていないとして、膠着(こうちゃく)状態が続いている。
 神社は公園の「北墳丘墓」の西側にある。氏子によると、敷地面積は約4千平方メートルで、地権者は神社庁。公園の中心部に位置するが、公園敷地には含まれていない。明確な創建時期は不明だが、神社内には施主の名前とともに「文政六」と書かれた一枚板がある。文政6年は西暦1823年。
 氏子は、吉野ヶ里町の神社周辺の地区住民32人と、氏子費を支払っていない15人がいる。最初は国に移転を求めたが、まずは県に求めるよう国から県文化財課を紹介された。神社の移転は全員が承諾し、全氏子が署名押印した承諾書を県に提出、神社庁にも報告した。氏子側は公園周辺の民有地を候補地として交渉を進めていたものの、膠着している間に候補地は別の活用が決まったという。
 公園整備以前は参拝道が複数あったが、現在は一つだけで階段を上る必要がある。氏子には90代のお年寄りが5人おり、高齢化している。当番が2カ月に1回ほどのペースで掃除するが、参拝に苦労する人が増えているという。車で行く方法もあるが、高齢で車に乗らない人も増えている。
 また、公園整備で周囲に雑木林がなくなったことで、神社周辺の木々が台風の影響を受けやすくなったといい、枝の落下で神社が損壊することもあった。
 区長の栗山博さん(69)と氏子の城島信夫さん(78)は「階段を上って参拝することが難しいという人が増えた」「近くの通いやすい場所に移してほしい」などと訴え、氏子の金銭的負担がない形での移転を求めている。
 県文化財課は「移転に伴う予算上の問題と、移転先が示されていないという主に二つの理由で、先に進んでいない」としている。
 吉野ケ里遺跡は、1989(平成元)年に古代中国の史書「魏志倭人伝」の記述との符合が指摘されたことで注目を集め、工業団地化から一転、保存が決まった。2001年に国営公園が開園した。公園には県営部分もある。
 発掘調査は12年度で一区切りとなり、現在は発掘していない。日吉神社は国特別史跡の範囲にあるが、未調査となっている。

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ほとんど70歳以上…役職もう無理 居住しながら自治会解散(福井新聞ONLINE)

情報元 : ほとんど70歳以上…役職もう無理 居住しながら自治会解散(福井新聞ONLINE)福井新聞社https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190112-00010001-fukui-l18
 福井県福井市内にある二つの自治会が、解散したことが分かった。ともに少数の高齢世帯で構成しており、地区の自治会連合会などから割り振られる役職を務める負担が大きくなったためとみられる。福井県市町振興課によると、合併に伴う解散以外で、住民が居住しながら自治会がなくなるのは県内で初めて。超高齢社会の影響や地域コミュニティーの希薄化に伴う自治会解散の連鎖も今後懸念される。
 解散したのは、美山地区の東俣町にある「東俣町自治会」と、市中心部に近い乾徳2丁目の一画にある「乾徳10自治会」。市は昨年12月27日と今年1月4日にそれぞれの自治会廃止届を受理した。
 東俣町自治会は6世帯14人、乾徳10自治会は6世帯11人で構成。ともに住民のほとんどが70歳を超えており、福祉委員、青少年育成推進員などの役職を担うことが負担になっていたようだ。
 「自治会は災害など万一の際に互助組織として機能する。できるならば維持することが望ましい」とする市は、東俣町に隣接自治会との合併を勧めたが、「(他の集落に)迷惑をかけたくない」などと了解を得られなかった。ただ、災害に備え最低限の連絡体制を残しておくため、市との情報伝達役になる行政嘱託員は住民に引き受けてもらった。住宅街にあり周辺に自治会が多数ある乾徳については、今後合併を働き掛けていく。
 自治会の解散により、防犯灯の設置・電気料の補助金、ごみステーション美化協力金などの各種補助が受けられなくなる。
 両地域の住民とも、解散前と変わらない暮らし、集落機能は維持したい意向。東俣町は地区に対し必要な負担金は今後も納めることを検討し、ごみステーションも住民が協力して管理していくとみられる。乾徳では街灯の電気代を自治会の積立金から支払う予定。
 市自治会連合会の奥村清治会長は「高齢者への目配りができなくなるのでは」と心配し、自治会の解散が今後連鎖する事態も危惧する。
 市まち未来創造室によると、市内には1543の自治会があり、平均世帯数は約50世帯。高齢化による役員の担い手不足に陥る自治会は増えているという。このため市は自治会の合併を後押しし、合併後3年間は補助金を交付している。2013~17年度に22自治会が9自治会に再編された。

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どんな乗客にも対応 水沢タクシー UD取り組み推進【岩手】(岩手日日新聞社)

情報元 : どんな乗客にも対応 水沢タクシー UD取り組み推進【岩手】(岩手日日新聞社)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190104-00010001-iwanichi-l03
 奥州市水沢の水沢タクシー(高橋十一代表取締役)が全乗務員をユニバーサルドライバーにして5年。同社ではソフト、ハード両面の社内環境を整え、どんな乗客にも対応できるタクシーを目指している。同業者を巻き込みながら、地域全体としてのレベルアップを目指している取り組みの状況を高橋代表取締役(63)に聞いた。ジャパンタクシー 同社がユニバーサルドライバーに取り組むきっかけは、乗務員の資質向上だった。規制緩和により、1995年以降タクシー業界は需要が落ち込んでいるという。それに伴い、業界では事故多発、駐車違反、違法な客待ち、乗務員給与の低下など負の連鎖も招き、資質向上は必須の状況だった。
 そうした中、ドアサービス、おつかいタクシーをうたったサービス競争が激化。この中で登場した介護タクシーは、介護保険が適用されることから利用者にとって負担の少ない移動手段として注目された。
 同社でも介護タクシー事業を検討した時期はあったが、ケアマネジャーの配置やヘルパー資格が必要、一般客は利用不可になるなど、「介護のみに特化したサービス」として実施しない方針を立てた。
 ただ高齢化への対応など福祉分野は、需要増が見込めることは間違いないとし、特化しない取り組みへの模索を続ける中、全国組織によるユニバーサルドライバーの取り組みを知り、「これだ」と思った。介護タクシーのように利用者が限定されず、従業員全員で対応できるとして進めた。
 社員研修でソフト面は整い、2015年に大型ワゴンでスタート。その後、トヨタが普通車料金で利用できるサイズの「ジャパンタクシー」を発売したことから導入を進めた。
 ユニバーサルデザイン(UD)を検討する中、子育てタクシーに取り組み、18年1月から市の事業がスタート。子育てタクシーの登録者は昨年末で64人。産科がないため妊産婦の移動を支援する仕組みが必要だと実感した。
 子育ての利用者から「タクシーの受け付けは24時間対応ですか?」と尋ねられ、「昔は24時間が当たり前と知られていたが今は知らない人がいる」と痛感。「タクシーを使う場面が減っている。利用者の変化に業界が気付いていなかった。規制緩和は弊害もあったが、良い方向になったのではないか」と評価している。
 公共交通機関としてのタクシーへの期待は、市の公共交通体系の中でも大きくなっている。バスの路線がなくなった地域の足としてのデマンドタクシーが増える見込みだ。ただ「バスとタクシーの違いもあって利用者の負担は大きくなる。負担増や必要性などについて市とタクシー事業者、利用者の3者でしっかりとした議論を重ね、納得して始めることが必要だ」と語る。
 ユニバーサルドライバーへの取り組みの肝は、支援が必要な人たちだけでなく一般の人たちにとっても利用しやすいことだと強調する。広めていかなければならない、と自身が昨年4月から支部長を務めている県タクシー協会胆江支部でも研修を行い、18年末までに支部内8社で48人(うち水沢タクシー29人)がユニバーサルドライバーに認定されている。子育てタクシー認定乗務員は、支部内で29人(同15人)となっている。
 乗務員の研修のほか、同支部ではUDへの取り組みとして、乗り場看板の多言語化、指さしコミュニケーションシート、衛生セットの配備などを進めている。
 「医療や子育ての課題を業界でカバーしなくては」とし、今後に向けて「UDへの取り組みはタクシーのサービスの原点と捉えている。これが当たり前になることが理想」と考えている。対価を得ている以上は「常に上のサービスが求められる」と肝に銘じている。

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途絶えていた伝統が復活…天然記念物「醍醐桜」のしめ縄づくり 岡山・真庭市(KSB瀬戸内海放送)

情報元 : 途絶えていた伝統が復活…天然記念物「醍醐桜」のしめ縄づくり 岡山・真庭市(KSB瀬戸内海放送)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181218-00010005-ksbv-l33
 岡山県の天然記念物に指定されている真庭市の醍醐桜のしめ縄づくりが行われ、地元の高校生も参加しました。
 16日に行われたしめ縄づくりには、醍醐桜保存会と地元の高校生ら約20人が参加しました。
 年末の恒例行事だったしめ縄づくりは、高齢化や人手不足を背景に20年ほど途絶えていて、ロープで代用してきました。しかし、見物客から「ふさわしくない」という声を受け、去年復活しました。約3時間かけて長さ13メートルのしめ縄が完成すると、巨大な醍醐桜の元に運び、去年のしめ縄とか架け替えていきました。
「昔ながらの技術をずっとつないでいける私たちみたいな人たちが参加することで、これがなくなっちゃって過去の遺産にならないように続けていきたいなと思いました」(参加した高校生)
 新しく巻きつけられたしめ縄は、これから1年間、醍醐桜を飾ります。

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笠森観音でフラメンコ 和装のダンサー登場 全国巡る映像制作 /千葉・長南(千葉日報オンライン)

情報元 : 笠森観音でフラメンコ 和装のダンサー登場 全国巡る映像制作 /千葉・長南(千葉日報オンライン)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181209-00010000-chibatopi-l12
 フラメンコダンサーの永田健さんが主催する「日本に恋した、フラメンコ」の撮影が8日、千葉県長南町の笠森観音で行われた。フラメンコの魅力を広く知らしめ、愛好家を増やすとともに、日本各地の名所、文化を紹介する映像プロジェクトで、県内二つのフラメンコ教室のダンサー12人が、和装であでやかに踊った。
 約1年かけて47都道府県を回り、寺社、城下町、四季折々の自然などをバックに踊る姿を撮影する企画で、笠森観音は埼玉県川越市に続く第2弾。踊り手が着物や浴衣など、和装でそろえ、日本ならではのフラメンコを演出するのが特徴。この日は、笠森観音の観音堂の境内などでフラメンコの代表曲「セビジャーナス」を踊った。
 日本は本場スペインに次いで愛好家が多い国だが、高齢化などで、減少傾向にあるという。永田さんは「20年前にブームがあったが、新しい人が入ってこないので、今は40~50歳代がメイン。この映像で全国にある教室を知ってもらい、始めるきっかけにしたい」と意欲を見せる。
 今回踊ったのは成田市の松風ユリヤフラメンコ教室と千葉市の松橋早苗フラメンコ教室の生徒。松風ユリヤで講師を務める平林しのぶさんは「和とのコラボで、日本人、外国人ともに興味を持ってもらういい機会」と話す。16歳の高校生で最年少参加者の木村真緒さんは「表現力を身に付けたくて昨年始めた。和服なので、より丁寧に踊ることを心掛ける」と笑顔を見せる。
 日本のフラメンコ界を活性化すると同時に、映像で各地の埋もれた情景を発信するのも目的。永田さんは笠森観音を見つけ、「直感でおもしろいと思った」と即決したという。「海外にも発信して、都道府県ごとのいい場所を知らせたい」。映像作品は来年末の完成を目指している。

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伝統紡ぐ新たな担い手 女性杜氏に外国人蔵人 【記者町香菜美が行く 酒処ちば巡り】(千葉日報オンライン)

情報元 : 伝統紡ぐ新たな担い手 女性杜氏に外国人蔵人 【記者町香菜美が行く 酒処ちば巡り】(千葉日報オンライン)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180827-00010000-chibatopi-l12
 300年以上前から伝統を守り続ける酒蔵、“新しい風”を酒造業界に吹き込みながら造り続ける酒蔵…。千葉県内39の蔵元は特色を生かして日々「うまいお酒」を世に送り出す。ただ、酒造りを指揮する杜氏(とうじ)の高齢化など課題も抱える。こうした状況の中、女性杜氏や外国人蔵人など、かつての「常識」を打ち破る取り組みも出てきた。
 田園風景に囲まれた場所に、瓦屋根のどっしりとした酒蔵がある。江戸時代から続く「旭鶴」(佐倉市馬渡)だ。県内でもまだ珍しい、女性杜氏の田中素子さん(54)が柔らかい笑顔で迎えてくれた。
 「嫁ぐ前は銀行員でした」。酒造りとは無縁で25歳の時に現在の7代目蔵元、孝一さんと見合い結婚。3人の子を育てた母親だが「酒を造る気はまったくなかった」。
 人手が足りない作業を手伝う程度だったが、次第に酒造りに興味を持ち始めた。「地元の米でお酒を造りたい」と具体的な夢を抱くようになり、他の蔵に泊まり込むなど約5年間修行。旭鶴の杜氏が引退するのと入れ替わるように、1998年に伝統の蔵での酒造りに本格的に加わった。
 「女性の杜氏なんて」…。反発して酒蔵を離れた人もいたが、信念を貫いた。子育てしながら、義母や夫の支えを受け、初めて本県産の酒造好適米を使った特別純米酒「佐倉城」が完成。その後も、女性ならではの感性で、同性に好まれるようなサクラ色の純米にごり酒など、新たな酒の商品を送り出した。
 望んで飛び込んだ世界。冬は極寒の早朝から続く仕込み作業、瓶詰めの際は一本一本手作業で…。手間のかかる酒造りにも「大変なことはない」と笑う。
 「酒造りは子育てみたい」。酒の良さを引き出し、手を出し過ぎるのも避けたい。「自分の子どもみたいなものだから、どのお酒もおすすめ。それぞれの良さがあるでしょ」。酒蔵の“母”は“わが子”と真剣に向き合う。
 いすみ市に移り住み、「木戸泉」(同市大原)の門をたたいたのは、ジャスティン・ポッツさん(37)。日本食の「発酵」に魅せられた米国人は、きき酒師や酒匠の資格を持つ本格派。「日本食の文化を国内外にアピールしたい」と使命感に駆られる。
 24歳に来日し、次第に日本食に興味を抱いた。ある時、農家の食卓で味わったみそ汁に漬物。発酵で生まれた食べ物に感動し、魅了された。特に日本酒は米から水、そして発酵…。日本文化の魅力が詰まっていた。
 「皆が知らないのはもったいない」。全国の酒蔵を巡り、海外でも日本酒の魅力を伝えてきたが、国内での日本酒消費量が減少傾向を示すのが気になった。「日本酒が日本で文化になっていないのでは」
 頭では分かったが、体で理解しなければ伝わらない。「酒の造り手に加わろう」。とことん学ぼうと決意した。
 かつての仕事で縁があり、酒造りの芯の強さに引かれた木戸泉に懇願。四代目の荘司文雄さんは「二つ返事」で受け入れてくれた。寒い冬、日が昇る前に起き日が沈むまで酒と向き合う日々。「外とのつながりを断って酒造りに集中する。身体的にも精神的にもきつかった」が、日本酒の奥の深さを肌で感じた。
 以前より酒のことを知ったから、課題も目に付く。「日本酒は夜、家で飲むもの」。イメージが固定されすぎてはいないか…。「いつどのように飲むかは自由」。外国人目線で、日本酒のイメチェンを提案し、日本酒を広く知らしめる。
    ◇     ◇
 酒蔵でのイベント開催や海外へ販路拡大、日本酒を使ったユニーク商品開発…。日本酒の魅力を探り県内蔵元を巡る記者・町香菜美(25)が、酒ファン獲得を目指す蔵元などの独自の取り組みを探った。

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戦時の暮らし、紙芝居に 金沢市遺族友の会(北國新聞社)

情報元 : 戦時の暮らし、紙芝居に 金沢市遺族友の会(北國新聞社)北國新聞社https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180814-00635012-hokkoku-l17
 市遺族友の会(遺児の会)は戦中、戦後の人々の暮らしをまとめた紙芝居の制作に乗り出した。会員や地域の高齢者への聞き取りなどを基に食事や農作業の様子、終戦後に石川を訪れた米兵とのやりとりなどを21枚の紙に描いている。8月末までに完成させ、子どもたちを対象にした読み聞かせの場を設けることで、戦後73年がたち、薄れてきている戦争の記憶を語り継ぐ。
 遺児の会は、太平洋戦争で父親を亡くした遺児でつくり、現在は70~80代の約80人が会員となる。高齢化が進む中、記憶に残る当時の風景を子どもたちに伝え、平和について考えてもらおうと、柴田勝弘会長(73)が紙芝居の制作を発案し、イラストレーターの渡辺富男さん(67)に作画を依頼した。
 渡辺さんは図書館で資料を探したほか、会員や地域の高齢者に当時の生活を聞き取った。「戦中、明かりが外に漏れないように電灯に布を巻き付けて夕飯を食べた」「富山の空襲のとき、卯辰山の向こうが夕焼けのように明るかった」「戦後に森本地区を訪れた米兵に『ギブミーチョコレート』と菓子をねだった」などの証言を基に、約3カ月かけて絵を仕上げた。
 今後、語りの文章を校正し、9月8日に本多の森ホールで営む市戦没者慰霊式でお披露目する。完成後は市遺族連合会と連携し、要望に応じて学校や公民館などで子どもたちに読み聞かせるほか、貸し出しも検討する。
 柴田会長は「遺児の立場で自らの経験を多くの子どもに伝え、平和が続いていくようにしたい」と話した。

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